2012年10月26日
歴史
見に来て下さり、ありがとうございます。
こんばんは。
今日は日中は、ぽかぽかして過ごしやすく、
でも、お昼休みに、勉強のために見学してきた棟梁です。
向かった先は、蒲郡の蒲郡博物館の入り口に建っている「門」

竹谷松平家大手門
この門は、様式的には高麗造りといい、
竹谷松平家屋敷の大手門であったと考えられる。
竹谷松平家は、慶弔十七年(1612)に
当地西ノ郷(蒲郡)に移り浦形城(旧下ノ郷城)に居をかまえた。
この大手門は現在の蒲郡市本町の十王堂付近にあったと伝えられている。
門扉のほぞにかかれていた墨書から、
文化十五年(一八一八)の建造と推測され、
明治初期に宝飯郡御津町に移築されたが、
老朽化により平成三年九月に再び当地
蒲郡に復元移築された。
と、記してあります。
かれこれ二〇〇年前の仕事、その当時の棟梁の技量の、
凄さが仕事の隅々まで、訴えているように感じとられました。


根腐りしている、柱をきちんと強度を保ちながら、繋いであります。

石に、繋いでさらに途中でも繋いである、高度な技術。

いつか、僕もこんな、門を造って見たく、
日々いろんな所(お寺、重要文化財等)に行って、
知識、技量を見につけるべく、勉強しています。
棟梁
長楽 加藤建築 ホームページはこちら
http://www.nagara-katou.biz
大工のつれづれ長楽日記日々更新します
ながらの母ちゃんことかかのブログもご覧ください
こんばんは。
今日は日中は、ぽかぽかして過ごしやすく、
でも、お昼休みに、勉強のために見学してきた棟梁です。
向かった先は、蒲郡の蒲郡博物館の入り口に建っている「門」
竹谷松平家大手門
この門は、様式的には高麗造りといい、
竹谷松平家屋敷の大手門であったと考えられる。
竹谷松平家は、慶弔十七年(1612)に
当地西ノ郷(蒲郡)に移り浦形城(旧下ノ郷城)に居をかまえた。
この大手門は現在の蒲郡市本町の十王堂付近にあったと伝えられている。
門扉のほぞにかかれていた墨書から、
文化十五年(一八一八)の建造と推測され、
明治初期に宝飯郡御津町に移築されたが、
老朽化により平成三年九月に再び当地
蒲郡に復元移築された。
と、記してあります。
かれこれ二〇〇年前の仕事、その当時の棟梁の技量の、
凄さが仕事の隅々まで、訴えているように感じとられました。
根腐りしている、柱をきちんと強度を保ちながら、繋いであります。
石に、繋いでさらに途中でも繋いである、高度な技術。
いつか、僕もこんな、門を造って見たく、
日々いろんな所(お寺、重要文化財等)に行って、
知識、技量を見につけるべく、勉強しています。
棟梁
長楽 加藤建築 ホームページはこちら

http://www.nagara-katou.biz
大工のつれづれ長楽日記日々更新します
ながらの母ちゃんことかかのブログもご覧ください
Posted by 大工のとと at 23:10│Comments(2)
│仕事
この記事へのコメント
はじめまして
先日はブログを見ていただいてありがとうございます。
会話がとても三河弁で、ニヤニヤしながらブログを拝見しちゃいました。
立派な門ですね。
なかなか門って
近くを通ったとしても、まじまじと見るものではないので、
日々門を見ることはありませんが、
画像がとてもすばらしく、迫力を実感できました。
らく楽さんのランチも美味しそうですね。
またブログを拝見します。
先日はブログを見ていただいてありがとうございます。
会話がとても三河弁で、ニヤニヤしながらブログを拝見しちゃいました。
立派な門ですね。
なかなか門って
近くを通ったとしても、まじまじと見るものではないので、
日々門を見ることはありませんが、
画像がとてもすばらしく、迫力を実感できました。
らく楽さんのランチも美味しそうですね。
またブログを拝見します。
Posted by mareRinn
at 2012年10月27日 12:19

mareRinn様
初めまして、
子供のニュータイプの三河弁かなり皆さんの子供さんが、
使っているみたいで、家だけかと思いましたが、安心しました。
気軽に、見に来て下さい。
初めまして、
子供のニュータイプの三河弁かなり皆さんの子供さんが、
使っているみたいで、家だけかと思いましたが、安心しました。
気軽に、見に来て下さい。
Posted by 大工のとと
at 2012年10月27日 20:42
